
「また来ます」
この一言を言われると、胸がすこしだけ軽くなる。
丁寧なお礼よりも、素敵な感想よりも、派手なリアクションよりも、
なぜか効く。じわっと効く。
理由はたぶん、あれが“評価”じゃなくて“約束”に近いからじゃないか。
美味しかった、楽しかった、居心地がよかった。
それらは全部、今日という日の点数みたいなものだ。もちろん嬉しい。
だけど「また来ます」は、点数じゃない。
今日が良かったという話を、未来に持ち越してくれる言葉だ。
店って、不思議な場所で、どれだけ真面目にやっても、結果がその場で確定しない。
来つづけてもらう必要がある。
接客が丁寧だったか、空気が整っていたか、味が狙い通りだったか。
全部“こちら側の都合”で完結してしまう危うさがある。
だから、お客さんの口から出る「また来ます」は、
こちらの内側だけで回っていた世界に、外の風が入ってくる感じがする。
“独りよがりじゃなかった”という確認。

もう一つ。
「また来ます」には、余白がある。
具体的な褒め言葉は、ときにこちらを縛る。
「こんな事やってくれるんだ」「この味が好き」「こういう雰囲気が最高」
それは嬉しい反面、次も同じものを差し出さなきゃいけない気持ちにもなる。
これはこれで身が引き締まるので良い効果。
でも「また来ます」は、理由を限定しない。
味かもしれないし、空気かもしれないし、たまたま居心地が良かっただけかもしれない。
その曖昧さが、店にとっては小さな救いになる。
店は“固定された正解”じゃなくて、“更新され続ける場所”でいられる。
そして最後に、いちばん大きい理由。
「また来ます」は、店を“生活の中”に置いてくれる言葉だと思う。
観光で一度きりの場所でも、話題の店でも、行きたい店でもなく、
ただ、日々のどこかに差し込まれる場所。
店をやっていると、目の前の一杯や一言に集中しながらも、
どこかでずっと“続くかどうか”を気にしている。
続くって、奇跡みたいな話だ。
続くためには、何度も選ばれないといけない。
だから「また来ます」は、売上の話じゃない。
もっと手前の、存在の話だ。
「ここは、これからもあっていい場所だ」って言われたような気がする。
非日常を提供する存在ではなく、日常になくてはならない存在になりたいと願っている。
もちろん、明日来るとは限らない。
社交辞令かもしれない。
それでもいい。
あの一言があるだけで、店を続ける理由が、ほんの少し増える。
山田


